私は、平和台のホットドッグが大好きで、ちょくちょく買いに伺っていました。。
今年の2月くらいだったかな〜おばちゃんが、6月で辞めると言い出して、驚きと、衝撃と、未だやめて欲しくない!という気持ちで胸が張り裂けそうでした。。
それからは、行く度に。。
といつも同じ問いかけをしてきました。
「辞めないよねー」は→「辞めないでー」という思いもありました。
平和台公園のホットドッグ
前々から、おばちゃんとは、「もう辞めようかしら」なんて 冗談交じりの会話もしていました。
もしおばちゃんが辞めないのに、この事をここで話してしまうと、逆に辞めるのを早めてしまうのではないか?
話が広がり、引導を渡してしまわないか?と内心 恐れていました。
そう言う思いからこの事を記事にするのは 今まで 控えていました。
そうしているうちに、どなたかがTweetしてしまい、ブログに載せる人も出てきて、新聞にも取り上げられてしまいました。。。
先日、行った時には、聞きつけたお客さんが多く来ていました。
私は、ホットドッグを買って食べるのも一つの目的でしたが、おばちゃんと話すひとときを楽しむのが何より大好きでした。
おばちゃんとは今までいろんな話をしました。
昔のみやざきの話、おばちゃんの子供の話。車の運転の話。ホットドッグの材料の話。などなど。。
長いときは、1時間以上ホットドッグを食べずに持ったまま話すことも。。
そんな事もありました。
最近では、後ろにもお客さんがたくさんいたので、もう おばちゃんとゆっくり話すことも出来なくなっていました。
昭和46年6月7日に始めたから6月7日に辞めるわ。
ついにこの日が来たのか。。・・・・
もう、おばちゃんの気持ちは揺るがない。。私はそう感じました。
淋しいけれど、続けて欲しいけど、高齢なので、運転も心配。
これから先はゆっくりして欲しい。。。
他にお客さんがいたので、私は淋しい気持ちをはぐらかして、全く別の話をしました。
近くにいたお客さんも大笑い! その場が和みました。
おばちゃんは、辞める寂しさは少しも見せずに、すがすがしい顔をして、ホットドッグを淡々と作り続けていました。
今まで、あって当たり前だった この場所に、この車が来ないこと。もうホットドッグが食べられなくなること。おばちゃんと逢ってたわいもない話をすることも無くなること。。
とても、とても淋しいけど、元気で長生きして下さい。
さようなら!宮崎の平和台のホットドッグ。
ありがとう!おばちゃん!
宮崎の平和台にホットドッグを作ってくれる、いつもおまけしてくれる おばちゃんがいた事をここに刻みたいと思います。
(親しみを込めておばちゃんと呼ばせていただきました)
最後という言葉は好きではありませんが、平和台のホットドッグを思い出に食べに行ってください。
清山宮崎市長も並んで買いに行かれてました。(清山宮崎市長公式Twitterから)
追伸
6月7日 最終日 21:15分頃、おばちゃんの車とすれ違った方がいます。
おばちゃんは、恐らく、お昼も食べずに、最後の一人のお客さんまでホットドッグを売り続けたと思われます。
本当に、最後の最後までお客様を大事にされた方でした。心から尊敬します。
おばちゃんと同じ時代を生きることが出来て、おばちゃんの背中をみることが出来てほんとうに良かったです。 ありがとうございました。 これからはゆっくりされて下さい